接していると言っても,二つとは限らない.三つの存在が互いに接しているインターフェイスもあるはずである. — ある日(201204022)のメモ
(Source: savageriver)
Mt. Coot-tha Quarry seen from Brisbane Botanic Gardens
(via savageriver)
(Source: savageriver)
【ex.】もう絵画をつくれないときに、マーク・ロスコの絵画の代わりが欲しいときにはどうするか?
→ジェームズ・タレルの作品。
— 発明とはなにか?| 岡﨑乾二郎ゼミ基礎/自由応用 2010年度講義録|Art Studium Archives
(Source: pornwithoutporn, via gree)
(via It’s not necessary to know whether I am joking or whether I am… - but does it float)
そこで、面白い現象があって(ここからが本題です…)、マイクロスリップ現象という。先のコップの話でいうと、人がコップをつかもうとしたとき、つかみにいく途中で手のかたちが、そのコップの形状に変化してく瞬間がある。つまり、手の中にその瞬間「心的」コップが生まれる。 — Twitter / @yukio_sasa
すなわち「私たちは<風>を見ることができるか」。
私たちは土埃を見るだろう。風に舞う落ち葉を見るだろう。はためく衣服の襞を見るだろう。渦巻く毛髪を見るだろう。私たちが見るのはそれらのものである。そして、それをもって、私たちは「風を見た」と言う。これはレトリックの問題であり、技術の問題である。
では、とさらに問う。風を見た「人間」は、果たして何を「見て」いるのか。見えるものとは見えるものである。その先については、人は「見る」のではなく、「判断」する。とすれば、「人間」は何を「判断」しているのか。
— theoretical theft: 均衡としての「人間」、或いはタル・ベーラ『ニーチェの馬』僕らの秋が リディアよ/冬を潜ませてやってきたら/思いを馳せてみよう やがてくる春のことではない/春は他の人たちのもの/夏のことでもない その頃 僕らは死んでいる/過ぎ去るものが 残す痕跡へと思いを馳せてみよう/いま 葉のそれぞれが生き/それぞれを異なる葉としている この黄色へと — Twitter / @FPessoa_b
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(via thirozumi)